好いーと九州

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タグ:#大宰府

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延寿王院は、太宰府天満宮の宿坊(僧侶や参拝者用の宿)で、1754年に桃園天皇より院号を賜った。

1865年2月、この地にいわゆる五卿(三条実美、三条西季知、東久世通禧、四条隆謌、壬生基修)が落ち延びてきて、3年間滞在。
大宰府が尊王攘夷の拠点となったのは、五卿西遷之遺跡御茶屋(本陣)跡などで書いた通り。

この間、西郷隆盛、高杉晋作、そして坂本龍馬といった面々が三条らを訪問。
月形洗蔵ら、福岡の志士たちも、彼らとやり取りをし、薩長同盟の下地も作られていったと思われる。

ところで、上述の説明だけだと、五卿だけが命からがら落ち延びてきたように思われるかもしれないが、実際には五卿一行は、お供を連れた総勢66名で、それを福岡藩士たちが護衛するという大掛かりなものだった。

彼らの滞在費は、一切藩持ちということで、福岡藩は肥後熊本他、いくつかの藩に支援を頼んでいる。

滞在中、五郷の面々は、二日市の温泉に行って接待を受けたり、現在の大野城市にある乙金村の大庄屋・高原家にもしばしば訪問している。
山家宿の山田家を訪問し、滝を眺望できる景色を堪能したり、通古賀の陶山家で遊んだり……と書いていて「あなた達は何しに来たんですか?」と言いたくなるようなバカンス……もとい謹慎の日々を過ごしている。

1867年12月、彼らはおよそ3年間に渡るリラックス生活……もとい謹慎の日々を終え、大宰府を出発することになる。
去るにあたっても、彼らは筑前と肥後藩から計600両と博多織その他、その他支度料として800両を5藩から送られたそうだ。

なお同地は現在、太宰府天満宮の社家・西高辻家の邸宅となっている。

参考文献:「ものがたり・大宰府の歴史」 (海鳥社)

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宝満山は筑紫野市と太宰府市にまたがる山で、標高はおよそ830m。
神様がいる山として、山伏たちから修験道の聖地としてあがめられてきた。

別名「御笠山」(みかさやま)、または竈門山(かまどやま)とも呼ばれてきたが、由来は「山の形が笠やかまどに似ている」、「神功皇后の出産時に竈門を立てた」など諸説ある。

登山途中には松尾芭蕉の句碑、中宮跡、馬蹄石などがあり、山頂からは大宰府、筑紫野の美しい景色が一望できる。

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(毛利氏の北九州進出と宝満山城、高橋鑑種)
宝満山は、戦国時代には大友氏の家臣・高橋鑑種が城を築き、軍事拠点となったことでも知られている。

1557年に大内氏が滅亡した後、豊後の大友義鎮(宗麟)は筑前・豊前の制圧を進めていたが、一方、中国地方では、毛利元就・隆元親子が周防・長門の完全制圧を進めていた。
両家は、お互いの勢力拡大を黙認するよう水面下で約束していたが、国境を接するようになると緊張が増し、戦乱が激化する。

大友氏の中国地方(周防・長門)侵略を恐れた毛利氏は、筑前から亡命してきた秋月種実、筑紫惟門らを大友の防波堤にしようと画策。旧領回復の後押しをする。
この結果、秋月、筑紫は各々の城を回復。他にも、筑前の宗像氏貞や麻生隆実、豊前の長野弘勝などが毛利氏に寝返った。

こうした動きに対し、大友氏は高橋鑑種を宝満城、岩屋城の城督として筑前に派遣。
両家は豊前・門司城を巡り、攻防を繰り広げるが、最終的に毛利氏が奪取に成功、大友氏は敗北を喫する。

そんな不安定な情勢の中、大友氏の筑前司令官とも言える立場にあった高橋鑑種が、突如、毛利氏に寝返る。
理由は、実兄を義鎮に殺害された怨恨とも、大友氏から独立しようとする野心だったとも言われているが、毛利親子にとっても意外だったようで、「高橋存じも寄らざる儀申し越し候」との言葉が残っている。

鑑種に呼応した動きも見られる中で、大友氏は門司城・苅田松山城を攻略すべく戸次鑑連(立花道雪)を豊前に送ることで対応。
この2城さえ落とせば、周防・長門と筑前が遮断されるため、筑前の反乱分子を孤立させられるからだ。

門司城では攻防が続き、最終的には毛利氏が守り抜くものの、将軍・足利義輝の仲裁もあり、大友・毛利は講和を結ぶことになる。
毛利氏は、元々中国地方での領土維持のため、門司城を確保するのが狙いだった。それが達成された以上、出雲での尼子氏との戦いに注力する必要からも講和は是非したい。
一方の大友も、不安定な筑前支配を盤石にするため、講和は望むところだった。

こうして毛利氏の後ろ盾が無くなり、進退窮まった高橋鑑種は大友義鎮に降るが、高橋家の家督を剥奪される。
当主を失った高橋氏の名跡を引き継いだのが吉弘鎮理だ。名将として名高い、後の高橋紹運である。

残念ながら、現在、城の遺構は殆ど残っていないが、岩屋城跡、高橋紹運墓と合わせて、訪れたい山だ。

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