福江港ターミナルから2kmほど、車なら7~8分ぐらいの位置に大円寺がある。
17代目の宇久盛定が菩提寺と定め、宇久→五島に改姓してからも代々藩主の菩提寺となった地で、山門に残る山号「廣嶽山」は、盛定直筆と伝わる。
17代目の宇久盛定が菩提寺と定め、宇久→五島に改姓してからも代々藩主の菩提寺となった地で、山門に残る山号「廣嶽山」は、盛定直筆と伝わる。
墓地は「大円寺山門を入って左右に続く一帯」と「山門前の橋を渡ったところにある石灯篭が並ぶ参道を登った一帯」の2箇所だが、前者は随分荒廃している。
明の王直が来航した際、通商を許可したことでも知られる宇久盛定は、波乱の生涯を送った人だ。
幼少の頃、宇久家に謀反を起こし、父・囲を殺害した玉浦納に追われ平戸の松浦弘定を頼って落ち延びている。
そして1521年、島にいる内通者から「領民はこの謀反人を信用していない。玉浦が館にいて動かない今こそチャンスだ」との連絡を受け、挙兵。玉浦納の館を襲撃し、見事討ち取ることに成功する。
こうして島に返り咲いた後、9代・宇久勝が応永10(1403)年に建てていた禅刹・松月庵に田畑山林をつけ、大円寺と改称した。そして一族の菩提寺としたのは冒頭の通りである。
盛定は1526年、上町一帯に「江川城」を築城している。
こうして名実ともに宇久一族が五島で復権したのだった。
こうして名実ともに宇久一族が五島で復権したのだった。
拓かれた五島史(尾崎 朝二)
現地解説板
【基本データ】
営業時間:要確認
入館料:無料
アクセス方法:
福江港から車で7~8分