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親不孝通りから昭和通りに出る1つ前の角を右に入った辺りに「西郷南洲翁隠家乃碑」がある。
西郷南洲とは西郷隆盛のことで、石碑が建つのは、月形の手引きで潜伏していた福萬醤油の蔵があった場所……と思っていたのだが、Twitterで、戦史学者の長南政義さんより、以下の通りご教示頂きました。(文意を損なわないレベルで加筆修正しています)

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この場所に西郷が来たという話は作り話です。
(福萬醤油の)白木氏が「曾祖父が醤油蔵にいた体が大きく少し変わったしゃべり方をする男から使いを頼まれたそうです。おそらく西郷さんだと思うんですよね」と述べている通り、現在の当主が「西郷だと思う」と想像し石碑を建てただけで、史料では別人が来たとあります。

この地点には、薩摩藩士・海江田信義(有村俊斎)らが来て「西郷の書簡を待ったが書簡すらも来なかった」とあり、複数史料で、月照は西郷と別行動を取ったとも書かれています。
従って、白木氏のいう「体が大きく少し変わったしゃべり方をする男」は西郷ではなく、海江田か誰かではないかと思われます。

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そんなわけで、どうやら西郷がいたわけでは無さそう。
なお福萬醤油は休業していたが、1965年に7代目を受け継いだ醤油ソムリエ・大浜大地氏がアンテナショップ兼バーとして運営する「バール福萬醤油」がある。
色々な九州醤油をテイスティングしながら購入できるので、合わせてお立ち寄りされることをお勧めしたい。