好いーと九州

Mr.Win's Roomの1コンテンツ。 大好きな九州の史跡や喫茶情報などを集めたページ。

2018年03月

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海に面している天草だけに、海産物が美味しいが、中でもムラサキウニは絶品。
3月上旬からウニ漁が解禁されると「天草生うに三昧」が始まる。
5月中旬頃まで開催されるこのイベントの加盟店では、新鮮なムラサキウニを使った食事を食べることができる。

温泉の宝庫でもある天草なので、温泉→ウニ食→夕日を堪能という贅沢が可能。
写真は「天然温泉 ぺルラの湯舟」内にある「レストランさざんか」のミニ海鮮丼とミニうに丼。

甘くとろけるウニは最高!

温泉も露天大風呂、露天壺風呂、内風呂と充実しており、眼下に見える海も美しかった。

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昭和天皇は1949年5~6月に九州巡幸を行っている。
福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県、宮崎県、大分県の順で行われた巡幸の中で、各地の人々に激励をしてまわったのだ。

熊本では市内、菊地群などを視察した後、5/30に三角港から天草入り。
5/31に天草各地を視察している。(その後、八代に移動)

碑文にもある通り、赤崎沖では鯛網漁を見ており、本碑は、そうした天草巡幸を記念して造られた碑だ。

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国指定重要文化財である天草四郎陣中旗はじめ天草・島原の乱、隠れキリシタン関連の史料が多数展示されているのが天草キリシタン館だ。

メインの2F展示エリアは、戦いの経過が時系列に分かるパネル、戦後に隠れキリシタンたちが信仰に使った隠し十字仏なども含め大変充実している。

小西家の旧臣など浪人が多数参加していた一揆軍は、農民主体とはいえ決して侮れるものではなかった。
加えて、キリスト教という信仰、天草四郎というカリスマの下に結束した一揆軍には(いずれにせよ天草は過酷な重税であったことも含め)降伏という選択肢はなかった。

幕府もかなりの危機を感じたようで、特に、日本各地にいたキリシタンたちが一斉蜂起することを恐れ、有力大名たちに国元での統制を効かせるよう指示している。
板倉重昌が戦死するなど大きな損害を被り、最終的には老中・松平信綱はじめ、九州諸侯も含めた12万人以上が参戦。
その中には、立花宗茂(当時の九州においてはもはや軍神の域だったろう)、鍋島勝茂といった関ヶ原の戦参加の世代までいる。

激戦の末、オランダ商館の助力で砲撃まで繰り出した幕府軍の食料攻めによって一揆軍は一人残らず全滅。(唯一、幕府に内通した山田右衛門作のみ生存)
ある意味では、武士以上に武士らしく散ることになる。

一方、島原藩主の松倉勝家は大名として異例の斬首となっている。
乱の後も、天草では重税の真因である石高算定の是正まで30年を要することになり、残ったキリシタンたちは隠れキリシタンとして密かな信仰を続けることになる。

なお、この地はかつて本渡城があった縄張りに位置し、この地からも当時の遺品が出土しているようだ。

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参考資料:
天草キリシタン館展示パネル

【基本データ】
営業時間:8:30~17:00(入館16:30まで)
休館日:12月30日~翌年1月1日
観覧料(2階展示室)
一般:300円
高校生:200円
小・中学生:150円



アクセス方法:
本渡バスセンターから巡回バス「のってみゅうかー」で約10分
(一律150円。右回りの方が早く到着)

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(キリスト像)

ルイス・デ・アルメイダという人物がいる。

ポルトガルのリスボンで生まれ、医師免許取得後にマカオと日本の交易で成功。
その後、来日時に山口で、イエズス会のトーレス神父に出会う。
この出会い、そして日本で行われていた赤子殺しにショックを受けた彼は豊後府内に私財を投じて乳児院を建立。

さらに私財を全てイエズス会に寄付し、自ら修道士に転身。
1557年、大友宗麟から拝領した土地に、日本初の総合病院を建てた(これが日本への西洋医学の伝来となった)
外科医もこなしたアルメイダは、多くの人を救い、多数の信者を獲得。

その後も彼は、商人、医師、さらには医学教育者として活躍。日本の教会への寄付も忘れなかった。
その結果多大な名声を得たが、天草の河内浦で亡くなった。

こんな波乱にとんだ、そしてスーパーマンのような働きをしたアルメイダ神父。
その亡くなった地(殉教公園内)には、偉業をたたえた碑が建っている。

【基本データ】
営業時間:終日
入場料:無料

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